キリンビールでの一夜。

ひとまず落ち着いたので、食堂にみんなそろって移動した。
前述したとおり、社員の人だけじゃなくて見学できていたお客さんや取引先の会社の人など、いろいろな立場の人がいた。
私はとりあえず外部の人間ということで、別室に通された。
一応和室ではあるけど、停電してるので当然ながら暖房はない。
加えて、天井で水道管が破裂したために水たまりを歩いたので、靴下が濡れて足元が非常に冷たい。
今自分の周りで何が起きているのか、さっぱり分からず不安という言葉しか出てこない。
ワンセグでちょくちょく情報収集を試みるけど、スマートフォンのためかバッテリーの減りが異常に早い。
母親とは17時頃、連絡がついた。通信規制がかかっていたため自分の無事と居場所を伝えるのが精いっぱい。
それでも、家族全員の無事がこの時点で判明し安心した。
まだ起こったことがショックでたまらず、キリンの制服やタオルなどで保温をしたけど、それでも震えが止まらない。
非常食の乾パンと生茶をいただいた。
食べているときは時間が潰せるけど、他にはやることが全くない。暇つぶしのネタが無い。
横になるのも落ち着かないので、結局食堂に行ったり来たり。
そんな中、聞こえてきたのは『若林区荒浜で200〜300の遺体か。』という情報。
とんでもないレベルの津波だったんだ、と直感した。
私もそちらの方面に車を走らせていたから、土地勘はある。
そんな身近なところで…。うちはもうだめかもしれない、ふと絶望した。
最後のタバコを避難中に吸ってしまったのも、退屈に拍車をかけた。
非常階段のところで一服していた人がいたので、恥を承知で1本分けてもらった。
その日はなぜか空が澄み切っていた。普段はお店や住宅の明かりで見られない量の、星があった。
ひたすらイライラしながら過ごしていた。明け方に非常用の電源に繋がれたテレビを見ると、さらにショッキングな映像だった。
がれきだらけの気仙沼で火災が起きていた。
工場の周りも消防車のサイレンと、津波を知らせるサイレンが鳴りっぱなしだった。
翌朝、改めて外を見てみた。目に映ったのはそこら中に散らばったガレキとビールの缶だった。
その後、名前を呼ばれたので何事か?と思ったら母親が迎えに来てくれた。
堤防沿いにここまで来てくれたことに感謝し、お互いに抱き合った。直後弟も合流。
最初から、私も小学校に行ってればよかったのに、とちょっと後悔した。
ここからさらに避難することになり、自衛隊の大きな車に乗った。
こんなときでしか、乗れないんだからwと半ば冗談めかしながら、外の世界を必死に見た。
ムーヴはやはり浸水していた。時間が無かったので確認は出来なかったが、外観がそこまで壊れていないことや正門入ってすぐのところにあったのは、不幸中の幸い。