仙台工業から自宅まで。

自衛隊のトラックみたいなのに乗せられて、仙台工業まで移動した。
わずかな隙間から見えた街の風景は、一夜明けて惨状と化していた。

朝の7時過ぎに出発したので、到着後すぐに朝食を頂いた。
アルファ化米という、お湯でふやかして食べるお米。わかめが入っていたので、食べやすかったが戻し方が不十分だったのか?あまり美味しくなかった。久しぶりに食べるまともなご飯だった。

ご飯を食べている間は時間を潰せるが、その後は基本的にやることがない。電気が通じていないので当然テレビは見られないし、携帯の充電もワンセグにフル活用してしまっていたので、(しかも予備バッテリーまで)とにかく暇だった。
こういうときに、モバイルブースターが重要なんだ!と痛感した。

夕飯で味噌汁を頂いた。久しぶりの暖かい食事になった。幸せだったし、いままでの生活と180度違うんだと覚悟をした。
弟が買ってきたお菓子も気を紛らせるのに役立った。

体育館の中にダルマ型のストーブは6つだけ。
近くの住民で避難している人は毛布や布団を持ち込んでいるのに、その辺りから離れようともしない。
段ボールすらなかったので、母親が職場から持ってきたバスタオルを何枚も重ねて、くっついて寝た…いや寝られなかった。
ダウンのジャンパー着てても寒いし、21時に寝る習慣が無い!どー考えても私には無理な問題だった。
真っ暗な体育館、頭上には飼い主と一緒に避難してきたワンコ。
ストレスが少しずつ蓄積されていた。


次の日。

朝の配給はリンゴとバナナと飲料水。たったこれだけか…。
ラーメンでもいいからお腹いっぱい食べたいなあ。
近くでタバコが買えないだろうかと、歩いてお店を回ってみた。全滅だった…今出来る暇つぶしまで出来なくなってしまった。
母や弟は職場に行ったり、知り合いのお店で食料を確保したりしているのに、私には何もできなかった。
荷物番をただするのみ。これからどうしよう?とか、今自宅はどうなっているんだろ?てただそれだけ。

昼過ぎになって、母親の内縁の夫(かな?)さんがわざわざ岩手からかけつけてくれた。
思わず声をあげてしまった。今まで張りつめていた気持ちが一気に弾けた。
遠慮なくタバコが1本貰えるwてのは半分冗談だけど。
弟は魚とイカ?のフライ丼を手にして戻ってきた。油はうまい!

自宅に戻った。庭の中までガレキで埋もれていた。
脇には見たことのない車が止まっていた。1階部分は1メートル近く浸水していた。
見渡す限り、泥泥泥。家電も家具も服もほとんどダメだった。
特に母親は、1階部分でしか生活していないから。チェストの上にあったものと、地震発生当日に私が干した洗濯物しか助からなかった。

台所や風呂場から掃除を始めたものの。今ここに広がる光景が信じられないのか、母親がめずらしく右往左往していた。
3人でとりあえず最低限必要な範囲まで片づけた。
避難所に戻る選択肢は無かった。確かに危険かもしれないし、電気がつくまで不安だけど、見ず知らずの人と暮らすのが耐えられなかった。

6畳1間で3人暮らし。ちょっと狭いけどしょうがないか。
暖かい布団にくるまれて、寝心地が最高だった。
明日からまたお片づけ頑張るぞ!!と気合を入れた。